米軍基地問題に関する沖縄と国の意識差について

島しょ地域を調査してきた身から

沖縄と国(多くの国民)との意識差について所見を記録しておきたいと思います。

 

日本には、第二次世界大戦後、米国の統治下にあった島々がいくつもあります。

 

それらの地域は、国境の最前線として、

戦時中は過酷な戦場になりましたし、日本にとっても米軍にとっても

重要な戦争攻略の要所で、陸海空の基地でした。

 

そして、第二次世界大戦後、日本が米軍の監視下におかれつつも

日本人として、日本の法律や規律のなかにあったなかで、

沖縄、奄美、小笠原地域は、異なる法律・規律・環境におかれていたのです。


*私が研究で扱う「離島振興」も法律による影響を強く受けており、
上記の理由から、沖縄、奄美、小笠原地域は策定された時期が異なるために

法律が分かれています。

参考)離島振興関係4法:

離島振興法、奄美群島振興開発特別措置法、小笠原諸島振興開発特別措置法、沖縄振興特別措置法



もちろん文化や言葉はそもそもかなり独自のもの持っていましたが、

そういったものではなく、

例えば、物理的な環境、いえば信号や交通標識、公的な文書等もあたるでしょう。

 

そして、私が推察するに非物理的な影響として大きかったのが、
自分たちに「日本人としての権利の共有」ができないこと、だったのではないかと思っています。

 

沖縄や奄美地域に行くと

ふとした道路の脇に「復帰の記念碑」がおかれていたりします。

 

そして、タクシーの運転手さんに尋ねると、

復帰直後の

道路が右側通行から左側通行に変わったときの様子などを

とても懐かしそうに話してくれます。

 

「復帰」は、その当時、調査していた私の想像以上に
人々にとって待ち望んだことであり、大きな変化でした。

 

戦争体験は日本中の多くの地域で共有可能ですが、

「復帰」体験は、共有できていないと思います。

 

そして、「日本人ではなかった時期」があることで、

なにか「自分たちは疎外されているのではなか」という不安が

沖縄や奄美、小笠原の人々は常に残っているのかもしれません。

 

そして、このような気持ちを尊重しない発言が、さらに人々を傷つけているのです。


沖縄は、特に米軍基地の敷地割合が多く

また米軍による飛行機落下事故、殺人、強姦など事件も多発した時期があり、

現状に対する不満は大きいものです。

 

たとえば、米軍機の落下事故時

落下した場所が小学校で
多くの沖縄の小学生が犠牲になりましたが、軍人は落下中に避難して無事でした。


本土にももちろん、米軍基地はあるのですが、

沖縄のこのような事態に対して、より人々の気持ちや生活によりそった対応ができないのか、

全国民が、考えなおす必要があると思います。


「沖縄が我慢すればいい」という発言を聞いたことがありますが、

想像力に欠ける残酷な言葉だと思います。

 

これ以上、このような発言をする人が増えないよう、

沖縄の人々の真意に寄り添える人々が増えるよう

祈りたいと思います。